意見の対立より慰霊が先。関東大震災・朝鮮人虐殺事件

関東大震災・朝鮮人虐殺はなかったとする主張とあったとする主張が対立している。似たような意見の対立は他の事件でもある。

私は直接見たわけではないが、体験を語る記録が山のようにあり、実際に死体がたくさんあった。
朝鮮人が井戸に毒を入れているとかのデマが流され、市民が自警団を結成して、殺したのだという。

デマを流すのが悪いか、デマに騙されるのが悪いか。
罪の大小はあろうが、どちらも悪いだろう。

あれ?
「日本は、騙されて戦争をしたのだ。日本は悪くなかったのだ。素晴らしい国だったのだ。」ということもよく聞く。
これも、私は真相は知らない。もし騙されたのだとしたら、騙す誰かも悪いが騙される日本も悪かっただろう。

正義の戦争など、なかろうに。人を殺せば悪だろう。

先の、朝鮮人虐殺の慰霊祭では、意見が対立する両者が小競り合いをしたという。なんのための慰霊祭か?亡くなった人を悼むためではないのか?
意見の対立など、どうでも良いではないですか?慰霊祭の時くらい、実際に亡くなられた多くの朝鮮人の方々にお詫びをして、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓うべきでは?

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